国鉄ED16形電気機関車
今回はED16形電気機関車について書いてみます。
この機関車は思い入れの深い機関車なのでやや熱く語ろうと思いますw
国鉄ED16形は昭和6年に製造された電気機関車です。
中央本線の浅川(現在の高尾)~甲府電化および上越線清水峠の開通に際し、アメリカWH社製の輸入機EF51を参考に昭和3年に国内で製造したEF52形をベースとして、勾配路線用として設計されました。
鉄道省(当時)が音頭をとって国内各電機メーカーで共同設計を行った機関車の第二弾であり、どちらかと言えば試作的要素の強かったEF52形に対し、初の本格的な量産型機関車となりした。
なお、総勢は18両で一見少なく感じますが、当時は電化区間自体が短いためその時代の電気機関車としては多い方となってます。
なお、全機が昭和6年中に製造されています。
駆動方式は標準的なツリカケ式。
電動機は当時最新の国産電動機である225kwのMT17で、4機搭載。出力は900kw(1200ps)です。
この数字は一見小さく見えますが、当時の蒸気機関車に比べたら十分に強力なものでした。
(同時代の蒸気機関車は特急機のC53形でも1040ps、大型貨物機のD50形が1280psでした。)
八王子以東の平坦区間の旅客列車の速度と、八王子以西の急勾配区間での貨物列車の速度を両立させるためギア比は高めの4.77となり、その分最高速度は抑えられて65km/hとなりました。
電動機の他に抵抗器にも冷却ファンが取り付けられ、まさに勾配仕様の機関車となったのでした。
なお、勾配区間での重連運転を前提に総括制御装置もついていましたが、技術的に未熟であったためか故障が多く、早期に取り外されています。
車体は上の写真のとおり鋼体をリベット止めにした継ぎ目の目立つゴツいもので、4軸駆動のためEF52形を短くしたようなズングリした姿となっています。
車体下には台枠が露出しており、車体とあいまってクラシカルな雰囲気を漂わせています。
2軸の動力台車前後に1軸の先輪が付き、前後にデッキの付いた旧型機らしき姿をしています。
前面は浅い折り妻構造に屋根庇のついたEF51形やED53形(後のED19形)などのWH社製の電気機関車の流れを組むスタイルで、後に開発されたEF53形やEF10形初期車にも引き継がれています。前面窓は金具止めでしたが、昭和40年代末期頃から大部分がHゴム固定に変更され窓サイズが若干小さくなりました。妻面中央には乗務員用の扉がついています。
さて、ED16形は新製後中央東線の飯田町~甲府と上越線の水上~石打に投入されました。前者は25パーミルの急勾配、後者は20パーミルの連続勾配が続く区間で客貨両用で使用されました。
上越区間では電気機関車としては初の豪雪地帯の運用となり、初期には初物ならではの様々なトラブルがあったようで、この運用経験が後の「上越型」装備に生かされることになりました。
一方、中央本線では一緒に稼働していた輸入機より性能的に安定しており好評だった様です。
戦時中には機銃掃射で被弾するものもありましたが幸い廃車には至らず、全機揃って戦後を迎えました。
戦後まもなくまでは引き続き中央本線、上越線で使用されましたが、輸送量の増大でED16では力不足となり、上越線では比較的早期にEF10やEF15、EF58など、中央本線ではEF13(上の写真左側)に昭和30年代中頃までに置き換えられ、一部は阪和線で旅客・貨物列車に、後は南武・青梅・五日市線の貨物列車に使用されることになりました。
阪和線では貨物のほか紀勢線直通の快速列車に使用される等の活躍をみせましたが、山岳路線向けで最高速度が低いこともあり、昭和45年までに新型のED60形に置き換えられ、全機が立川機関区に集結して南武・青梅・五日市線で活躍することになりました。
南武・青梅線では氷川(後の奥多摩)~浜川崎間の石灰石輸送列車をメインに、青梅線内の一般貨物や横田基地の燃料輸送列車にも活躍しました。
また、間合いに浜川崎から安善まで鶴見線での運用を行うこともあった様です。
青梅線は10パーミルの勾配がだらだら続く路線ですが、ED16形にとっては緩い勾配であり、また石灰石を積むのは下り坂方向だったこともあって老後を過ごすには良い環境だったと思われます。
また、青梅線も南武線も旧型国電や101、103系がのんびり走る路線であったため(特に青梅以西は急カーブが多くスピードが出せない)、特にダイヤの足を引っ張ることもなかったと思われます。
ところで、青梅線は元私鉄ということもあってか拝島以西の線路等級が低く、軸重15t以上の機関車が入れませんでした。(ED16形は14.9t)
このため、老朽化により何度かED61等による置き換えが検討されたものの、性能的に過不足ないこともあって、戦後形の旧型機に廃車が出始める中でも結局ED16形が使われ続け、いつしか石灰石輸送列車は昭和ヒトケタ生まれの老機関車が活躍する名物列車となりました。
余談ですが、中央本線からED16形を追い出したEF13形はその後立川機関区にやってきて浜川崎~拝島間でED16形と共に活躍する様になりましたが、ED16形より早い昭和53年までに全廃されています。何やら因縁めいたものを感じてしまいますね。
しぶとく活躍してきたED16形ですが、昭和50年代後半になるといよいよ老朽化は著しくなり、青梅線自体の沿線宅地化が進んで需要が増えたこともあって軌道強化が行われます。
これにより軸重の制限が緩くなったことで、昭和57年から勾配区間用機関車の後輩格であるEF64形が投入されるようになり、ついに廃車が始まります。なお、ED16形置き換えのために捻出できたEF64形が足りず、引退直前で検査期間が残ったEF15形も投入されるようになりました。
新型機登場の後の旧型機登場で子供心に面食らったものですが、これにより山深い青梅線で旧型機の共演が見られるようになりました。
そんな新旧共演も長くは続かず、いよいよ終焉の時がやってきます。
昭和58年3月に日本テレビ局企画で12系客車を牽引する「おもしろまじめ号」、その一週間後にやはり12系客車を牽引してさよなら列車が新宿~御嶽間で運転されました。双方とも2日間に渡って運転され、都合4本のさよなら列車が運転されたことになります。人気の高さが伺えます。
自分も写真を撮りに行きましたが、物凄い人出で驚いた覚えがあります。
このさよなら列車を最後に、ED16形は全ての運用をEF15形とEF64形に託して引退しました。
その後、検査期間の残っていた4号機が殆ど動くことなく昭和59年6月に廃車となり形式消滅し、半世紀以上の現役生活を送った老兵は、多くのファンに見送られながら53年目にして歴史の向こう側へ走り去って行ったのでした。
模型の方ですが、KATOの製品です。
数年前に発売された製品ですが、つい先日再生産されました。
近年のKATOらしい緻密な作りです。
全体的なプロポーションはなかなか良いですが、さすがに多く見てきた機関車だけにディテールの採点は厳しくなりますw
まず、前面から見た屋根の肩のカーブが、若干緩い印象。実車はもう少し角張っていた気がします。このあたりは角度や見え方、車両毎の差異などもあるので何ともいえないところです。
もう一点気になったのは前面窓の大きさです。
同社サイトには昭和40年代頃の姿をモデル化したと書いてありますが、窓にHゴムの表現が見られます。
ところが窓サイズは原型(金具止め)に近く、コレがちょっとした違和感になってます。
原型とするならば同社のEF56形同様車体同色のモールド、Hゴムとするならば一回り小さくしたうえで位置は下辺に合わせるのが正解です。そう言う意味で若干中途半端な印象です。
ちなみに、Hゴム化されたのはほぼ50年代に入ってからだったようですので、昭和40年代を謳うならEF56形同様とするのが良いでしょうね。
一方、側面の印象は非常に優れています。
表記類やリベットなども緻密に表現されており、実車のもつゴツゴツ感が程よく再現されています。なお、区名札にはちょうど銀河モデルのステッカーに立川機関区を示す「立」が収録されていたので使用しました。
このサイドビューを見ていると思わず自宅のマンションや沿線の公園で眺めた記憶がモーター音や赤ホキのジョイント音と共に甦ってきます。
また、デッキ手摺り等もよく再現されていて、思わずニヤリとしてしまいます。
さて、我が家でのED16形の用途はやはり先日紹介した赤ホキ(ホキ2500形)を連ねた石灰石列車ですが、トラやタキをちょこっとつなげた解結貨物も再現したいところ。
また、中央本線では昭和30年代前半まで見られた黒貨車軍団を牽かせた姿を再現するのも面白そうです。
ちなみに、我が家の機関車としてはこれまで昭和14年製のC57 109とEF56 6が実車の最古参でしたが、今回のED16 18が昭和6年で最古参となります。これより古い機関車を導入する予定は今のところないので、当面我が家の最古参機関車として君臨することになるでしょう。
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